『あの人はかわいそうなんだ』 からの教授診療代行(平成22年2月12日 恩師の言葉改編)
私が入局した講座の大山教授の言葉である。
彼は学内で絶大な信頼を勝ち得ていたため超多忙、診療室に出られる時間は滅多になかった。
本来新卒から2年目までが担当であった教授診療の助手。研修医を修了した3年目の私が突然立候補し、当然のように(??)そのチームのボスとなった。
研修医のときに教授診療チームの改善策を考え、それを実行したかったのである。
けれども自分達に可能な人数を予約しても教授は自分が出るつもりで予約表に追加してしまう。
私と研修医主力の4~5人のチームでは予定通りに進まなくなってしまうのが常であった。
そこで、私が診療開始前の早朝に病院に行ってカルテをチェック。
歌舞伎の十八番『勧進帳』のごとくその日の治療計画を立て、教授秘書が教授をつかまえるやいなや教授室でそれを読み上げた。
OKなら「よろしく。」で終わり。手順が違う場合はそれを指示してもらった。
それから外来に戻り、外来衛生士の了解の上で30分前からスタートし、空いている治療ユニットはすべて借りて教授チームの診療をすすめていった。
予定通りに(?)治療は遅れていく。
頃合いを見ながら若手を一人づつ昼食に行かせ、決まりより数時間遅れて治療を終了する日常だった。ありがたいことに、多くの診療室スタッフは現状を肯定してくれて、後かたずけさえきちんとやれば時間外診療のペナルティはなかった。
診療終了時間の15時をはるかに越えて、17時から18時頃に教授は戻ってくることが多く、「佐藤、昼飯まだだろう?僕もまだだからいっしょに行こう。」ということになる。
薄給の私ではとても入れない「グリルセインツ」で教授チームの症例検討会が行われた。
教授は多忙であっても、難しい治療の方をちゃんと把握していた。
唇顎口蓋裂や口腔腫瘍切術後、顔面領域の外傷など、それに加えて容易に歯科医師を寄せ付けない、心に大きな傷を抱えた方々である。
「あの人はかわいそうなんだ・・・。」で始まるその患者さんの過去の闘病歴と担当医の変遷。
胸が熱くなり、自分に出来そうかではなく、「なんとか力になりたい」『望むところです、1命に代えて!』
その後私は図書館や技工室に戻り勉強と自分の担当する患者さんの入れ歯作り、セブン・イレブン(7時に出て、23時すぎに終電で帰宅)の日々は続いた。
教授担当の患者さんの難しい治療で費用がかさみそうなときには、教授は研究費の申請用紙を出してくれた。
声には出さなくても「治療費は気にせず、(俺の名前を使って)ベストをつくせ!」と聞こえた。
「佐藤はもう何でもできるから、僕が出なくてもいいだろう?」とか「若い(モデルやタレントの)お嬢さんだからおじさんより佐藤の方がいいだろう?難しかったら手伝うから。」と背中を押してくれました。
後からわかったことだが、私が型取りをした印象や設計した模型はすべて製作技工士(もちろんそれも全員教官クラス)から、教授の手許に運ばれ、作って良いかどうかの指示をあおいでいたのだ!!
それらを見ての言葉だった。
私にとって最高の上司だった。この人以外では私のようなわがまま男では、大学病院に在籍すらできなかった。
「僕の代わりに身内の治療をやってくれよ。」・・教授の出身が南雪谷だったため、私はこの地で開業することとなったのである。
